お稽古継続。

とあるお稽古場を離れた、という方とご一緒する機会があった。

共通の知人を介して集ったので先方のことを、よく存じ上げておらす。
色々と伺うのも憚られていたのを、わたしに「日本舞踊されているのですか」と尋ねてくださったので。

そこからの会話で冒頭のことを知った。

退職がキッカケだったとのことだが、個人的には退職後が趣味に時間を費やせるイメージだったから。

ちょっと勿体無いなぁ、と内心思っていると。

「日本舞踊は裕福でなければ続けられない趣味よね」

と言われたので、そのことが未だずっと頭の片隅に残って消えない。

その方は長く通われたお稽古先をお辞めになって、しばらく後にやはり踊りたくなったということで違う土地の違う流儀の稽古場に数年ほど通われたそうだ。

ところがその稽古場には、いろいろな事が起こったようで。
(詳しくは伺っていない。だいたい想像はついたが。)

そこもどうやら閉鎖になった、というのは風のうわさ。

きっとその件もあって、もう2度と踊ることは無いと思われたのだろう。
年齢を経るにつれ面倒やトラブルに巻き込まれるのは懲り懲り、と。

そんな風に思われている様子に見えた。

わが家の稽古所は師匠(花柳登代仲・実母)と、わたしの二人で指導に当たっている。
と書けば大変に聞こえはいいが、いまや通われる方の数も激減し維持しているのが奇跡的だと我々も思う。

そうは言いながらも「土崎神明社例祭(土崎港曳山まつり)」の演芸指導や、県南の横手市への出稽古も加わり。

また数ヶ月に一度は新規の方からの問い合わせもあることにはあるので、先行きに不安だけを覚えないようにしているのは。

わたしの性格的なものにもよるだろうけど・・・

師匠の全盛期、丁度バブルの頃。
どこの稽古場でも、こぞって大きなホールで大々的な舞踊会・温習会・発表会が開催されていた。

秋田という地方でも、まるで歌舞伎を見ているかのよう、と言っていただくようなゴージャスな会が競い合って行われていた。

その頃のお弟子さんは高齢化、亡くなった方も何人もあり。
また不景気になったことで趣味を控えた方も沢山いらっしゃる。

平成12年に師匠の最後の会が開催され、17年にはわたしが小ホールで最初の会を主宰した。

構成している会員の顔ぶれが様変わりして、わたしの元へは普通のお勤めの方ばかりが通っていたから。
(師匠の元へは経営者の方や55歳の定年で年金が直ぐ支給された学校の先生をされた方が非常に多かった)

まったく違った感覚で規模を縮小した会を催すことができた。

(この会に関しては方々からあれやこれや、と言われた経緯があるけれど、それは後日また別に綴ろうと思う。)

そこから今年の9月の第6回目まで3年程度の定期的なペースで細々ながら続けてこれたのは。

長く通い関わり積み立てを続け、わたし達を支え励まし共に運営に携わってくれる会員の存在があればこそ。

進学・就職・結婚・出産・転職など事情があって秋田を離れ稽古が続けられなくなった方と、さよならを言わない期限を決めない長い稽古休み(といっても、そこに何の約束や縛りはない。気持ちの問題。)という区切りを数々つけてきたけれど。

体調不良や介護の理由がない限りでは皆、残って稽古を続けてくれている。

稽古休みを取って復活してくれたメンバーもある。

いつでも戻って来れる稽古所であるのが、わたしの少ない自慢かもしれない。

ご一緒した方に本当は、わが家でなくともどこかでまた踊って欲しいなという気持ちがあって。
実際そうお伝えもしたけれど・・・

一度、離れてしまうと。
しかもそれが金銭面を含む価値観の違いや人間関係にまつわることだったりすると、日本舞踊というジャンルには責任はないのだろうけど。

それ自体を何だか嫌われたようで、そしてそう口にされてしまうのは。
聞いた他の方の思わしくない印象につながるのだろうと思うと、残念でたまらない。

離れることがあるのは妨げない、
でも話題に上った時よいイメージで話されるような稽古所でなくてはならないと強く感じる。