合縁奇縁、不思議なご縁。

おひとりの方の入門が決まりました。

少し前から、入門前の、お試し稽古を月に2度されている方が。
(そういうやり方も取り入れてみています。ご本人との話し合いで、日舞を習いたいけれども続ける自信が持てないという心中に添って方策を見出してみました。率直なご希望ご提示いただければ、その方その方に合う稽古方法を取れると思います。お気軽にご相談ください。)

わたしが親しくしている方の小学校の同窓生だった、という。
驚くような話が地元には転がっています。

秋田、狭いです。

さて昨夜、入門希望の方がお見えになられまして。

お話とストレッチと体験(実際に曲に合わせて踊ってみる)をしていただき、ありがたいことに入門が決まりました。

とても、うれしいです!!

今まで幾人の方からの問い合わせを受け、実際に足を運んでいただき、実際の稽古を見学していただいたり。
具体的な稽古についての話し合い(稽古日/回数/月謝/用意する物など)の時間を持ったりしてきたでしょう。

いったい何人の方とやり取りを交わしたか、すでに記憶が定かでありません。

本格的に(独立して)個人指導を受け十数年になりますが、年間に2~3人とは、こういった時間を持たせていただいています。

その方々が個々の事情で稽古所を離れても、それはそれとして。
反応が寄せられる(問い合わせの連絡がある/見学にお見えになるなど)ことを実感できるだけ、まだ停滞していないと感じられるので救われます。


このたび入門された方とは不思議なご縁が繋がっていました。

  • 同じ学年(生まれ年は遅生まれと早生まれの違いがあった)
  • 同じ短大(学科は異なる)
  • 例祭参加仲間

同じ学年で短大も一緒だった、ということは昨夜聞いて驚きました。

実は更に深い結び付きが間接的にあって(顔見知りという範囲なら30年も以前からの知り合いになるが当人同士は結び付いていなかった)、それもしみじみと縁は異なもの味なものと感じるのですが。

それ以外に、お互いに共通点が複数あったのは。
意外でもあり、また今後の話で共通の知人が登場してくることが想像でき。
ワクワクする気持ちです。

何につけても地元秋田は本当に狭いです。
土地的には広いと思うのですが、人々の繋がりでいけば大変に狭い、それが地方ならではだと思います。

特に例祭関連は濃い関係性になりがちで、指導に伺っている複数町内さん以外にも知人が各町内に増えていき、町内のスタンプラリーがコンプできそうな地元民ではない部外者です。

長年携わると、こういったことが出てきます。

ということは口コミで様々なことを言われる可能性も高まる、ということでもあり、より背筋の伸びる思いがします。

口コミのこわさ。

わたしは同業、組織の中の方の(わたしに対する)反応や評価は気にしていません。

例えば病院選びをすると仮定して、医師同士の評価、「あそこの〇〇先生は見立てがいいからお勧めするよ」という発言は、なんとなく背後に大人の事情が横たわっていそうで信用できない気がしませんか??

もし少し気になるとしたら実際にかかったことのある方の、先生や看護師さんや受付の方や、そのほかで感じた印象や受けた印象の方だと思うのです。

(わたしは猜疑心が強く自分の目で見て確かめたいタイプなので、あまり人の口は信じないのですが。)

一般的には、そういった口コミが人々の気持ちを揺さぶるのではないかと思います。

自分自身、客商売を自認しているので。
口コミというものの良し悪しの影響を常に考えます。

稽古所を離れた方/問い合わせくださった方/地域の方/飛び込みの営業の方(もちろんお断りはするのですが丁重にする)/何かの機会にご一緒した方・・・書き出せばキリが無いほど、わたしのことを良くより悪く言われる可能性は暮らしの中に溢れています。

このご時世なので様々な価値観や考えの方があり、すべてにおいて良い評価をいただくとは思っていませんが。

せめて悪く言われないような振る舞い、発言をしていこうと思います。

SNSやネット上のやり取りも、然るべきですね。

人は石垣、人は城。

稽古曲としても時折、登場する【武田節】の一節ですね。

「情けは味方、仇は敵。」と続きます。

地位も名誉も蓄財も何も無い、わたしと母がここまで来られたのは。

ひとえに「人」の存在あればこそ。

人に巡り合い、人と人との繋がりを築こうと思ったら、まず自分が魅力ある人間でなければなりません。

好人物、集いたくなる指導者と思っていただけるよう、これからも丁寧に精進したいと思っています。